はるか昔に日本に住んでいた私たちの祖先たちが、初めてお酒を口にしたのはいつごろなんだろう?そんな疑問が頭に浮かんできたのなら、あなたは相当なお酒マニアかもしれません。
日本におけるお酒の発祥は諸説ありまして未だに定かではありませんが、多くの学者の間では、日本における最初のお酒はワインの一種だったと考えられています。
時は遥か昔の縄文時代
縄文時代といえば、紀元前14,000年〜紀元前300年頃まで続いていたといわれる日本に稲作が伝わる前の時代です。
この時代の人々の生活はいわゆる狩猟採集生活…意外かもしれませんが彼らの食事は非常に多様で、季節や地域によってかなりバラエティに富んでいました。
シカやイノシシなどの大型哺乳類を食料として狩猟し、その骨や皮も衣服や工具の材料として余すことなく利用していました。
森林では、キイチゴやヤマブドウ・アケビ・コケモモ・ガマズミなどの果物、根菜、野草が採集され、栗やクリ、山芋などが主な食料だったと考えられています。
また、沿岸部では魚介類が重要な食料源で、サケやマス、貝類、海藻などが一般的で内陸部でも川や湖で捕獲した淡水魚も食されていました。
そんな感じで1万年以上長らく続いた縄文時代の中でも紀元前4000~3000年頃の遺跡に縄文人の飲酒のはっきりとした証拠が残っています。
この土器ってもしかして…
太平洋戦争終結まもない昭和28年8月。
長野県諏訪郡富士見町の井戸尻遺跡群の高森新道第一号竪穴住居跡からとある大きめの土器が出土しました。
その土器はこれまでのものと形も大きさもずいぶん異なるものでした。
口の縁の部分は平たく大きく、首の部分には輪をはめたような鍔(つば)があり、そのつばには十数個の小さな穴があいていました。
後に有孔鍔付土器として知られることになるこの土器は、初めはその形や容量から雑穀などの貯蔵容器と考えられていました。
ところがその後、同じような土器がいくつか出土し、それらの土器の内側にヤマブドウの種子が付着しているのが発見されました。
そんな痕跡が見つけられるうちに、「おや?これはもしかしたら…この土器は酒の仕込みに使っていたのではないか?」という考えが出てきました。
よく見ると後に出現する酒樽のように土器の胴回りは緩やかに膨らんでおり、アルコールの発酵をさせるのに理想的な形をしております。
そして程なくして同じ竪穴住居跡から、有孔鍔付土器が酒造りに使われていたことを裏打ちする証拠が出てきました。
飲酒用と思われる器や神事に使われたと思われるお椀型の土器が出土したのです。
とういことで、少なくとも縄文時代中期にはお酒が存在していたことがわかりました。
なんかブクブクしてきたぞ
縄文時代に、当時のことについて記された書物は何一つ存在していませんので、縄文人がお酒に出会った経緯は想像することしかありませんが、おそらく貴重な糖質源であったヤマブドウを採集できたので、ちょうどいい土器に大切に保管していたのでしょう。
そうして何日かしていると、土器の中に入れていたヤマブドウから液体が滲み出してきており、なんだかブクブクと湧いている…
これはヤマブドウに含まれているブドウ糖を空気中の酵母が分解してアルコール発酵が進んでできる今で言うフルーツワインの類ですが、縄文人からすれば得体の知れない液体…口にしたら死んでしまうかもしれないと恐れたかもしれません。
でも当時の食糧事情を考えると、気味悪いから捨てるという判断はせず、皆で恐る恐る口にしました。
するとどうでしょう?
なんだか体が温まったり、顔が赤くなったり、気分も良くなってきた。
そしてどうやら、死にいたる毒ではないようだ…
面白い
この体験が病みつきになって今度は意識的に果物を器に入れてまたブクブク湧いてくるのを待ちました。
果物での酒造りが浸透していくと次第に器に入れる果物の量は増え、一度に70~80kgの果物を仕込むことができる巨大な土器を使用するようになっていき
お酒は縄文人の生活の中で重要なものとして生活に浸透していったのでした。
このように縄文人とお酒との出会いを推測していくと、なんら無理のない物語として考えることができます。
日本で最初のお酒のお話いかがでしたでしょうか?
お楽しみいただけましたら幸いです。
それではまた〜
【参考文献】『日本酒の世界』 著: 小泉武夫